大内誠 シャンソンの舞台に立つ
(平成十九年十一月二十三日)

投稿:   佐藤 眞人 氏     Sun, 25 Nov 2007


 十二時半、青山マンダラに到着した。少し早めだから外の空き地でタバコを吸っていると、楽屋口から大内が出てきた。濃紺のジャケットに白いパンツで、「写真撮る?」と大内が催促するから店の前で記念写真を撮る。私がデジカメを持ってきていることを何故知っているのだろう。早く入らないと席がなくなるというので慌ててしまう。受付には既にかなりの人が並んでいる。貢の話ではあらかじめ大内が席を取ってくれている筈だったが勘違いか。
 チャリティーショーだから(こういう場所に来るのは初めて勝手が分らず)、どこでお金を出せばよいのか悩んでしまう。箱は受付に隠してあることが分ったが、中を覗くと祝儀袋が詰まっている。そんな用意はしてきていない。こういう場合、どうしたらよいのか。すぐ前に並んでいた人が、「むきだしで申し訳ないが」と言いながら一万円札を渡すものだから、ますますあせってしまうが、私は分相応に三千円を提供した。相場は分らないが、こんなものではないだろうか。これで、ドリンク一杯でシャンソンが聴けることになっている。
 開演までにジントニックを飲んでいると、やがて貢到着。大内のフランス語の先生だというフランス青年もやってくる。フランス語教師はアルバイトで、本職はエンジニアだそうだ。もうアルバイトもやめようと思っていたが、「オオウチさん、なんだか面白そうなことをするっていうから」教師を続けていると言う。大内は夫人と娘のために、隣の席をちゃんと確保していた。ステージの正面に座っている客は、ワインを一本確保して、本格的に飲む態勢に入っている。まだ一時前だが。

 水嶋佐知子のチャリティ・リサイタル「シャンソンは人生のドラマ」と言うのが今日のタイトルで、その人は柏崎出身で、故郷の地震被害にあった人のためにチャリティショーを開くのだ。プログラムには、二部の前のゲストコーナーのトリの位置に「大内誠様」の名前が燦然と輝いている。大内もいよいよ歌手になったのだ。
 いよいよ始まった。随分高齢の女性が登場し、これが主役の水嶋女史なのだがどうもおかしい。音程はときどき外れるし、フランス語もなんだか良い加減だ。(勿論、私にはフランス語の発音について何事かを語る資格はないのだけれど)司会の男性の言葉で漸く事情が呑み込めた。水嶋オバサマは七十二歳。七年前というから六十五歳のとき、一念発起してこの会を始めた。本職は弁護士で、今日の客席の半分くらいは法曹界で埋まっているらしい。生活には全く困らない有閑夫人が、自分の趣味のために金を注ぎ込んでいるのだ。これでリサイタルを開けるのなら、横の会のメンバーはたいてい誰でも(お金さえあれば)やれるのではないかしら。貢もそう思う。ただし今日の観客は公称百五十人というからバカにできない。
 第一部は十一曲。一曲あたりの時間は短いが、これだけの数をこなすのは大変だ。案の定、後半になると途中で歌詞を忘れてやり直しになる。本人も苦笑するが、客の大多数はもう慣れっこになっているようだ。司会者いわく、「年々上手くなっている。最初は音痴の水嶋という触れ込みだった」。
 第一部終了のちょっと前に、大内夫人と娘が到着。第一部が終了して十五分休憩。私はタバコを吸うため外に出る。オバサマもタバコの箱を持って外に出てくる。一緒に外にでてタバコを吸っている男性が「訓練ってすごいですよね」と声を掛けてくるので、返答に困ってしまう。実はこの人も法曹界の人で、司会者に「お前も柏崎出身者だからこなければいけない」と強制され、初めて来てみたのだそうだ。しかし発言の趣旨が分らない。話の調子では、オバサマの歌もなかなかのものだと言っているように聞こえるのだが、もしかして歌というものをバカにしているのだろうか。

 喉が渇くのでジントニックをもう一杯。今度は八百円だった。貢はウィスキーのようだ。休憩が終わってやっとゲストコーナーに入る。最初のゲストは男性で、これも弁護士だ。オバサマの司法修習生同期だそうで二曲歌う。この程度なら、横の会にはいくらでもいる。
 次に、楚々とした美人が登場した。山崎順子様。「リヨン駅」という初めて聴く歌だったが、フランス語の発音が素人離れしている(と思った)。囁くように歌うところは素敵だが、高音になると力がなくなるのが惜しい。水嶋オバサマよりは随分ましだけれど。ご主人は法曹界の偉い人だったが、昨年亡くなった。大内の話では東大仏文を出て、ソルボンヌに留学経験があるとのこと。私たちと同世代かと思ったのに、六十五歳だと言うから驚く。なんでもヘルニアのリハビリのために歌を習っているのだそうだ。
 二曲目は大したことはない。フランス語だから誰も分らないのだが、おそらく途中で間違えたのではないだろうか。一瞬声が小さくなって恥じている様子が分ってしまう。こんなものは演技なのだから、それにどうせ誰もフランス語の歌詞なんか分らないのだから、堂々と歌っていればよいのだが、素人の悲しさだね。残念だった。しかし美人がちょっと恥ずかしそうにする姿はなかなか良い。
 いよいよわれらの大内誠様の登場だ。「日本海の夕日を見て育った大内様が、同じ日本海の柏崎のかたがたのために」と司会者が紹介する。大内娘はさかんにカメラの設定をチェックしている。夫人はちょっと恥ずかしそうに、「あのステップがね」と笑う。「ラ・メール」「オー シャンゼリゼ」なかなか良いではないか。今日これまで出演した中では一番だ。私の後ろでフランス青年が満足そうに頷いているから発音も問題ないのだろう。オバサマも山崎女史もあんまり有名ではない歌を歌っているから、たとえ間違えても分る人は少ない。大内のように、これだけポピュラーな曲を選んでしまうと、ちょっとしたミスでも気がつかれてしまうから不利なのだが、全くミスはなかった。
 私たちの席はステージの横になっていて、写真撮影には難があるから、大内は娘のために、こちらに大きな顔を向けて手を広げる。今日は素人のオバサマの道楽の添え物ゲストだが、いつの日か、本格的なステージに立つことを夢見て、大内誠は精進していくのだ。夫人の理解協力が得られているのは大内のために喜ばしい。

 第二部が始まる。テーマはエディット・ピアフだが、「だってピアフは難しいのよ」と言うとおり、彼女にとっては相当無理な選曲だった。間に「長坂玲先生特別出演」のコーナーがあり、長い髪のちょっとエキゾチックな女性が登場した。これが、オバサマや山崎女史、大内の先生なのだ。流石にプロは違う。圧倒的な迫力で二曲歌った。その間に、山崎さんが私たちの隣の席で大内と話しているので、写真を撮らせてもらう。(このときは六十五歳だと言うのをまだ聞いていない)長坂先生の写真も撮る。ステージを終えた先生も、隣の席に座る。長いスリットの入ったワンピースの足を組むものだから、ちょっと困ってしまう。大内はこういうオバサマたちの機嫌を伺うのがとても上手だ。
 最後にオバサマの曲が二曲残され、司会者が登場する。「残りは二曲ですが、当然もう一曲ありますよ。ちゃんと用意してありますからね」お約束のアンコールの拍手によって最後に歌うのは「愛の讃歌」だった。七十二歳にしては頑張ったと言うべきだろう。大内は必死で「ブラボー」と叫ぶ。司会者も「去年よりは良かった」と褒める。この司会者も、オバサマと同じ業界の人だった。
 伴奏はピアノだけだが、これが良かった。小泉たかしという青年で、これも長坂先生の弟子である。「おれもピアノを練習する」と貢が深く決心する。確かにピアノが弾けるとカッコ良い。しかし貢の演歌にピアノの弾き語りはちょっと合わないのではないだろうか。

 三時終了。これから横の会の始まるまでどう時間を潰せばよいか。とりあえず京橋に出た。貢は昼食を食っていないので、でかい餃子を売り物にしている中華料理屋に入る。私はほんの時間つなぎのつもりだったのに、二人は違う。もう本格的にビール、さらに日本酒を飲むものだから、大内はすっかり出来上がってしまった。勘定は今日のギャラを手にした大内の奢りだ。
 「きりたんぽ銀座店」の前で二瓶淑子さんとばったり出会い、一緒に店に入る。大内はもう相当酔っていて、わざと秋田弁で店員に声を掛け、顰蹙を買っている。副店長はちょっと怖い顔のお兄さんで、「あだも、あぎたの人ですべ」と大内が絡むが、この人は東京出身者だった。どうも前途多難である。